耶馬渓競秀峰

耶馬渓競秀峰

「すごい!」魅力がいっぱい。耶馬渓

青の洞門

青の洞門

 競秀峰の裾に位置する青の洞門は、諸国巡礼の旅の途中に耶馬溪へ立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て、托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った宝暦13年(1763年)に完成させました。
 第1期工事以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。
 大正8年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になりました。

耶馬渓橋(オランダ橋)

耶馬渓橋(オランダ橋)

 大正12年(1923年)に完成した青の洞門の下流にある耶馬渓橋は、石橋として日本唯一の8連石造アーチ橋で、日本最長(116m)の石造アーチ橋でもあります。
 大分県の有形文化財に指定されており、日本百名橋の一つにも数えられています。
 少し上流の馬溪橋、羅漢寺橋とともに耶馬渓三橋と呼ばれています。
 大分県は石橋が日本一多い県でもあり、その大半が大分県北部(中津市・宇佐市)です。

羅漢寺(五百羅漢)

羅漢寺(五百羅漢)

 羅漢寺は、大化元年(645年)にインドから渡来した法道仙人が開いたとされ1300年の歴史があります。
 暦應元年(1338年)、円龕昭覚(えんがんしょうかく)という僧が大きな岩穴を見つけ、インドの耆闍崛や中国の天台山に似ていたことから、その石窟を「耆闍崛羅漢精舎」と名付け、延文4年(1359年)逆流建順という僧がこの窟に五百羅漢像をわずか1年で完成させました。
 この無漏窟の五百羅漢(石仏)は、日本でつくられ現存する中でも最も古く、国の重要文化財となります。

福澤諭吉が護った故郷の景観。

福澤諭吉が護った故郷の景観

日本新三景

日本新三景

 大正4年(1915年)発行の「婦人世界 9月号」にて、日本三景にならって実業之日本社主催による日本新三景の選定が始まり、翌年、耶馬溪とともに、三保の松原(静岡県)と大沼公園(北海道)が選ばれた。
 大正7年(1918年)には選定地に「『婦人世界』創刊10周年記念日本新三景碑」も建てられた。
 耶馬日田英彦山国定公園の一部であり、文政元年(1818年)に文人であった頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬溪山天下無」と詠んだのが地名の由来である。
 無数の奇峰と渓谷が織り成す景観は天下一品である。

日本三大紅葉の里

 四季折々に表情を変えてゆく『奇岩競秀峰』の美しさと雄大さは絶品です。
 紅葉はもちろん事、夏の深緑、冬の雪景色。四季を通じてその景色を楽しむ事が出来ます。

日本三大奇勝

 永年の風雨などにより、浸食作用を受けた火山溶岩が名勝耶馬溪の奇岩奇勝を形作った。
 奇岩の森林、渓流の美しさが調和する景勝地として1923年に国の名勝に指定され、昭和25年(1950年)に耶馬日田英彦山国定公園に指定された。

日本三大渓

 溶岩台地を山国川の本流と支流が浸食してできた渓谷。
 耶馬十渓と呼ばれる、本耶馬渓、羅漢寺耶馬渓、津民耶馬渓、奥耶馬、深耶馬、裏耶馬、椎屋耶馬渓、東耶馬渓、南耶馬渓、麗谷耶馬渓からなる。
 青の洞門をはじめ、一目八景や羅漢寺など見どころが満載。

耶馬渓・競秀峰へのルートマップ

耶馬渓・競秀峰へのルートマップ

日本遺産認定 やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~

日本遺産認定やばけい遊覧

 耶馬渓地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーが 「日本遺産」に認定されました。
 耶馬渓には、ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群があり、 地域が主体となって総合的に整備・活用することで、国内だけでなく海外へも発信できる誇れる魅力です。
 耶馬渓とは、川が溶岩台地を浸食した奇岩の渓谷で、 石柱の断崖、岩窟、滝、巨石が大パノラマをつくっています。
 その深く神秘な地形は伝説と祈りの場所となり、 山水画のような風景は文人画人憧れの地でもありました。
 1000年以上の昔から、人々は岩から仏、石橋、洞門、庭園と、優れた作品を生み出し、広大な大地に配しては回遊路でつないでいき、大正時代ついに一本の絵巻物のようにまとめあげました。
 次々と場面が展開する「耶馬渓」という山水絵巻に入り込み、空から、谷底から、遊覧の旅を楽しめる魅力あふれる場所です。

競秀峰70分の天空さんぽ